Petapon3世の部屋

ペタポンは本当は『メリーちゃんの羊』の羊の名がパタポンというらしいが、初代の部屋開設の際すでにその名前が登録されていて、主人が苦肉の策でペタポンにしてしまった様子。 パタポンは娘と息子がまだ幼かったころに飼った犬につけた名前だそうである。 羊の名をもらった猫である我輩としては、どう思ったら良いのか。 日本で一番有名な猫は、天水槽で成仏するまで「名前はまだない」と済ませていた様だが。 この分では我輩は当分成仏するわけにもいかないようだ。

鎌倉と東京の正月 1

 12月が1月に変わる時、人間どもは暮れ正月と言って大騒ぎする。昔は借金を年末までにと、借金とりたてに商人や金貸しが走り回り、謝金をしている者は戸を閉じてひっそりとしたという。 主人はもちろん金を貸したり借りたりしていないし、こんな行事には関係ないのだが、暮れには娘が東京からやってきて、カニを食べさせろと数日うるさかった。幸い海の穏やかな日もあったようで、3日にわたり二人で15匹のズワイガニの雌を茹でて食べた。 31日には新幹線で東京に出て、娘は上野の自宅へ帰り、主人は息子家族のいる鎌倉の家に押しかけて行った。
 元日には息子一家とおせち料理、雑煮を食べて祝い、近くの神社の餅つき行事に子供たちも出かけた。家から5分くらイメージ 1いの山の手に熊野神宮というのがあり、町内の有志が餅つきをして参詣者に振る舞うという。まだ少し早かったので割にすっと、焼き芋やみかんを頂き、つきたてのおもちもいただいたが、竹の容器にお酒を頂いた主人はお代わりもねだっていた。孫二人も餅をつき、主人もつきたそうだったが、歳を考えたのか、よそものだからかうらやましそうに見ていた。酒を飲み終わると主人は一人でお宮の上の方に歩いて行った。相当な坂で、いくつか別れる道は、やがてどれも民家で行き止まりになる。こんなところに住むと、徒歩でも、自動車でも大変だと主人は感心した。お宮の上から写真を撮って、降りてくると、息子が探しに来た。歳だから迷子になったと思ったに違いない。孫たちはすでに家に帰っていた。 正月2日の10時からは極楽寺切通しの下の浜の、坂の下海岸で、「船おろし」という行事があり、主人は初めてそれに連れて行ってもらうのだが、それはこの次にする。 新潟に帰ってほっとした主人は毎日晩酌をしていて、吾輩もそれをちょっとお相伴するものだから、久しぶりのブログ書きに疲れてしまった。