Petapon3世の部屋

ペタポンは本当は『メリーちゃんの羊』の羊の名がパタポンというらしいが、初代の部屋開設の際すでにその名前が登録されていて、主人が苦肉の策でペタポンにしてしまった様子。 パタポンは娘と息子がまだ幼かったころに飼った犬につけた名前だそうである。 羊の名をもらった猫である我輩としては、どう思ったら良いのか。 日本で一番有名な猫は、天水槽で成仏するまで「名前はまだない」と済ませていた様だが。 この分では我輩は当分成仏するわけにもいかないようだ。

2012-01-01から1年間の記事一覧

終章3 かっては地雷に満ちていた国

カンボジアは王国で宮殿がプノンペンにあり、国王の住んでいる区画以外は観光できる。1941年18歳で即位したシアヌークは70年ロンノル将軍によるっクーデターで中国に亡命した。75年ポルポト派のプノンペン制圧を受けて帰国したがポト派に幽閉され…

終章 2 仏教の国

クメール王朝の時代はヒンズー教の寺院だったのだが、その後仏教が入り12世紀末に建てられたバイヨン寺院の観世音菩薩のモチーフは有名である。 15世紀に都はプノンペンに移ったが、ペン夫人がメコン川の流木に仏を見て祭ったワット・プノンの仏像を現地の…

終章 カンボジアはこんな国でした。 1 古い寺院の国

クメールの歴史はカンボジア観光の中心地アンコール・ワットのあるカンボジアでは西の方にあるシェムリアップ周辺から始っている。 ロリユオス遺跡は日本では奈良の大仏が作られた頃の9世紀末に、アンコール・ワットができる前の王朝寺院である。 プノンペ…

カンボジア印象 その37  終章 カンボジアはこんな国でした 前言

2007年4月6日から23日まで始めてカンボジアという国を訪れ、暑いのに閉口した事もあって、再度2008年1月から2月の乾季に一ヶ月の第2回カンボジア旅行をした。 その時にはプノンペンからシアヌークビルに飛び、アンコール・ワットを始め、クメールの遺跡…

未終了の カンボジア日記

カンボジアの娘のところに主人が夫婦で出かけたのは2007年5月と2008年1月からのそれぞれ1カ月づつである。詳細は「先代Petaponの部屋」を見てもらえばわかるのだが、1回目帰国後に「カンボジア印章その1」を、2度目の帰国後2008年3月から「カンボジア再…

残された原稿

昨年末マックからの掲載が不可能になって、マックに残っていた原稿を発見した。 今更、新年のご挨拶ではないのだが、petapon一世に敬意を表してここに掲載することにした。 カンボジア最終章の原稿も次から掲載することにする。 2012年の日記 その1 新年の御…

まだ夏日

敬老の日を過ぎたのに、今日も新潟はフェーン現象のせいで全国一暑くなり、36度を超えた。 中部地方では大雨になっているようだが。 仕方がないので、今日も、もう黄色くなったままぶら下がっている窓際のゴーヤの下の木陰で一日中昼寝することにしよう。

開設の記

言い忘れたが、ペタポンは本当は『メリーちゃんの羊』の羊の名がパタポンというらしいが、すでにその名前が登録されていて、主人が苦肉の策でペタポンにしてしまった様子。 パタポンは娘と息子がまだ幼かったころに飼った犬につけた名前だそうである。 羊の…